色彩の言語――ターコイズ

今回はターコイズです。
オーラソーマでのターコイズの一般的な意味合いについては、下記のURLをご覧ください。 http://aura-soma.co.jp/intro/color_language/turquoise.html
ターコイズは、カラーローズでは、原色ブルーと第二の色グリーンの中間にあり、多くのブルーと少しのイエローを含んでいる第三の色です。
チャクラでいうと、4.5のチャクラ、4と5のチャクラの中間です。 アナンダカンダチャクラと言われています。
アナンダカンダチャクラは、オーラソーマのサトルアナトミーでは、マゼンタ色のソウルスターから、ハートのエメラルドグリーンに降りてくるプロセスで、ハートの少し右上にあるターコイズ色のチャクラです。
$オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-サトルアナトミー
http://aura-soma.co.jp/intro/subtleanatomy.html   ラマナ・マハリシの、「自分は誰か?」という問いかけと関係があるとされています。
つまり「自分は誰か』という問いかけをハートに聞いていくのです。
ラマナ・マハリシについては・・・
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不滅の意識―ラマナ・マハルシとの会話/ポール ブラントン ¥2,625 Amazon.co.jp
などに詳しいです。
「私は誰か」という問いかけが、どうしてターコイズと関連するのでしょうか?
これは色の言語からどういうふうに導き出されるのでしょう?
私は誰かという問いかけは、ターコイズの色のスピリチュアルな側面です。 ある意味で、その色の持つエッセンスの側面と言ってもいいかもしれません。
色の言語の意味には、さまざまな層やレベルがあります。
スピリチュアル、ないしエッセンスの側面。 メンタルサイコロジカル(精神的心理的)の側面、 エモーショナル(感情的)の側面、 そしてフィジカル(肉体的、行動態度)の側面。
フィジカルな側面といっても、これは肉体的というよりも、どちらかといえばスピリチュアル、精神的心理的側面、感情的側面がどのような行動的な側面として現れるかということです。
例えば、ブルーが大いなる存在の意志でイエローが個人の自己の意志というのは、スピリチュアルな側面、エッセンスのレベルのことを言っています。
実際には、それが精神的心理的側面、感情的側面、それが行動として表れていくわけです。
ブルーは大いなる意思、ということだけでは意味が分からないかもしれません。
しかし、色の本質を考えていくベースとしては役に立ちますし、そのことを深く理解していることが、ブルーの他の側面について深く理解していく助けになるのです。
オーラソーマのコースのレベル1(ファウンデーションコース)では、それぞれの色の言語について、10の色の言語を習います。
そしてそれぞれの10の色の言語について、本質的な意味から、すべての10個の色の意味のつながりを理解していくことが大切です。
このことを理解すれば、いちいち色の意味を覚える必要はなく、身近なところから色の意味を自分で考えることができるようになっていきます。
そしてレベル2では、それぞれの色の意味の4つのレベル、スピリチュアル、メンタルサイコロジカル、エモーショナル、そしてフィジカル、シンボリズムの意味について深く考えていくことになります。
ターコイズを考えるうえで、まず思い浮かぶのがペールターコイズのマスターボトル、62番のマハチョハンですね。
マハコハンと通常は言いますが、チョハンというのが正しい読み方のようです。
マハは「偉大なる」という意味で、チョハンは「ティーチャー」という意味があります。
そしてインナーガイドという言葉や、シンクロニシティというのもターコイズの言葉です。
ターコイズについてのヴィッキーさんの言葉は「存在の感じる側面からのコミュニケーション」という意味があります。
言いかえるとハートからのコミュニケーションです。
ターコイズがグリーンのハートとブルーのコミュニケーションとが混ざり合った色であることから、この意味が出てきます。
では、偉大なるティーチャーとはなんでしょう?
それが「私は誰か」というラマナ・マハリシの言葉です。
「私は誰か」という問いかけが、大いなる教師、となります。
その問いかけが私たちを大いなる教えに導いてくれるのですから。
「ラマナ・マハリシ」は超越瞑想で有名な、マハリシ・マヘッシ・ヨーギと混同しないでくださいね。 まったくの別人物です。
ここでラマナ・マハリシの言葉をいくつか見てみましょう。
質問者  「世界は苦です」 マハリシ  誰が世界は苦だと言っているのですか、       それを探しなさい。 質問者  「この私です」 マハリシ  では、その私は誰か? を探しなさい。       私を見いだせば、ほかのすべては見いだされるでしょう。
「あなたは真我(アートマン 永遠不滅の実体)です。 あなたは真我以外の何ものでもなく、他のすべては単なる想念です。 それだからそのまま真我でありなさい。 森に逃れたり、部屋にこもる必要はありません。 本来の活動をしながら、行為者との関連から自分を解き放ちなさい。 真我は証人です。 あなたはそれ(宇宙の最高原理──ブラフマン・梵、無限者なのです」
『南インドの瞑想 ラマナ・マハリシとの対話』より。
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ラマナ・マハリシは17歳の時に、彼の生涯における重大な変化を体験します。 突然理由なき死の恐怖に襲われたのです。 その時の経験について、彼はこのように語っています。
「私はめったに病気をしたことはなかったし、その日は健 康状態にも何もわるいところはなかったのに、突然激しい死の恐怖が私を襲った。 ・・・・私はただ、『私は死のうとしている』と感じ、それについて何をすべきかを考えはじめた。
・・・
私はそのとき、その場で、自分自身で問題を解決しなければならないと感じた。
死の恐怖のショックは、私の心を内面に向け、実際に言葉に表すのではなく、自分自身のこころの中で言った。
『いま、死がやってきた。これは何を意味するのか? 何が死んでいくのか?死ぬのはこの肉体だ』と。
そして私はすぐに死という出来事を劇的に表現した。 あたかも死後硬直がはじまったかのように手足をこわばらして横たえ、調べに対してより本当らしく見えるように死体を模倣した。 私は、なんの音も漏れないように『私』という言葉も、何かその他の言葉も口にだすことができないようにし、息をつめ、口びるを固く閉じた。
私は自分自身に言った。
『この肉体は死んだ。 それは硬直したまま火葬場へと運ばれ、焼かれて灰になるのだろう。 しかし、私はこの肉体ととともに死ぬのだろうか? この肉体が私なのだろうか? この肉体は静止して活動しないが、私は私の人格の完全な力を感じているし、しかも、私の内部にある、肉体とは別の「私」の声を聞き取ることさえできる。 従って私は肉体というものを超越した意識(魂)なのだ。
肉体 は死ぬけれども、それを超越しているこの意識(魂)は死によって手を触れられることはできない。
つまり私とは不死の意識(魂)なのだ」
『ラマナ・マハリシの言葉』より。
つまり、彼は、私は誰か、と自分に問いかけたとき、肉体は私ではなく、決して死ぬことのない、意識なのだという悟りを得るわけです。
そこから彼は、真の自己を知るための問いとして、私は誰か? ということを自分に問いかけるようにと帰依者に教えるのです。
では、なぜその問いかけがターコイズなのでしょう?
ターコイズは、ブルーの大いなる意識とグリーンのハートとの間にある第三の色でしたね。
ちなみに、ラマナ・マハリシはハートの聖者として知られています。
それはともかく、ターコイズはブルーに少しのイエローが含まれてくるのです。 ここでは大いなるブルーの意識に、小さな自己の意識が初めて芽生えるのですね。
私は誰か?
誰がそれを問うのでしょう?
ブルーの意識に芽生えた小さなイエローの意識が問いかけるのです。
どこで問うのでしょう?
ハートのなかで問いかけます。
大いなる意識と小さな意識が出会うところ。
イエローのマインドのなかには答えは見いだせません。
それでも問いかけるのです。
私は誰か?
あなたも問いかけてくださいね。
私は誰か?
・・・・
尚 記
     
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