クレムリンを前にシャンパンボトルで乾杯を
「ロシアとバルト諸国におけるオーラソーマ」から マリアンヌ・ミッケルセン
オーラソーマはロシアとバルト諸国にも広がっているのですね。
今は明らかに西欧圏、とくにアメリカ文化圏に属する日本では、これらの国々はもっとも遠い地域の国々の部類に感じられると思います。
でも私たちが知ろうと知るまいと、それらの地域にももちろん人々は住んでおり、それぞれ独自の感性を培っていることは当然です。
特にロシアは19世紀末のロシア文学によって日本人には広く知られています。
20世紀最初の革命前まではロシア正教を国教としていたロシアは、仏教圏の日本などよりはかえってオーラソーマ自体の文化に近いのかもしれません。
たしかに、オーラソーマはロシアにも入っているようです。
ただ、半世紀以上にわたって唯物論を奉じ、キリスト教の教会文化の廃絶を企図した国の傷は深いのかもしれません。
オーラソーマのもつスピリチュアルな香りに素直に惹きつけられる社会的土壌は、まだまだ少ないのかもしれませんね。
でも、実際に、オーラソーマはこの国にも到達しているようです。
では、マリアンヌ・ミッケルセンが報告してくれる「ロシアとバルト諸国におけるオーラソーマ」からご紹介しましょう。
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ロシアとバルト諸国におけるオーラソーマ
オーラソーマの目覚めと深いヒーリングの光は東方にも広がっており、人々は興奮しつつ、それを受け入れています。
人々が深い関心と共にスピリチュアルな成長に働きかけていることに、私はとても感動しました。
そして、マインドを越えて深くフィーリングのレベルに行くのは、もっと簡単なようです。
東方、特にロシアは、創造力という点では、「深い愛を通して高次の意図を形にする」可能性をもった、まさにマジェンタの国だと感じられます。
キリストのエネルギーの核心部分に触れ、しかもそのエネルギーを人生の中で体験する心構えができており、犠牲という問題を実際体験しながらも、愛を通して新しく上昇するエネルギーを感じてもいるのです。
それは目覚めの力であり、それはより、自分はここにいるという感覚を強めてくれるものであり、そこで私たちは光の存在であることを認識するのです。
そして、とても強い創造的なパワー、形作るパワー、すなわち聖霊の目覚めを体験するのです。
そこでこそ、私たちはキリストの意識の中で、共に創造するという意図を認識しながら、目覚めて生きることができるのです。
私には東方は目覚めのプロセスにあって、強力な役割を担っているように感じられます。
それはほとんどエーテル的にというよりは、物質的に感じられるものですが、他のレベルの存在たちが、物質として姿を現わしたような感じなのです。
私はディープマジェンタと暁の黄金の色であるB90のボトルを思い浮べているのですが、この暁あるいは黄金の太陽は東方より出ずるものです。
http://artbeing.com/aura-soma/equi/B090.html
それは何かが本当に、世界のこの地において明らかになるという感じがします。
そして、それは突然起こりうるのです。
これらの国々で教えるというのは、とても力づけられる経験であり、また閃きに満ちたものでした。
なぜなら、内容は同じであっても、彼らが色によって自分の経験を表現する仕方は違い、使う言葉も少し違っていたからです。
すべては1994年にはじまりました。
私は、ダリア・ブラシウリテという女性からリトアニアに招待されたのです。
彼女はセントジャーメインのクイントエッセンスを使ったとき、すっかりオーラソーマに魅入られてしまいました。
このバイオレットの哲学的なエネルギーが東方のドアを開けたのだといえるでしょう。
その時から、私とダリアはラトビアとモスクワを共に旅し、いつも彼女がコースの通訳をしてくれました。
ダリアは、スピリチュアルな意味でも、物質面でもオーラソーマと共に働きたいという強い意志を持っていました。
彼女は世界のこの地域での仕事の窓口のような存在で、オーラソーマのディストリビューターでもあります。
マイクは、この地での仕事の発展に、多大な助力をしてくれました。
私たちは最初からリトアニアでいくつかワークショップを行いましたが、そこでのエネルギーは大変柔らかく、流れのあるものです。
それは黄色の光がゴールドに移って行くような感じです。
クツミ(クートフーミ)のように、内なる知恵を認め、内なる種子がスピリチュアルなレベルにおいて、悟りへのドアを開くのです。
そして、そのマスターの弟子となり、私たち自身がその仕事を成就することを知るのです。
私たちはラトビアでもいくつかのコースを開催しました。
ラトビアのエネルギーはもっと赤っぽく、ディープレッドとさえいえるもので、もっと勢いのあるエネルギー、けれどもまた、特に最初はほとんどエネルギーの壁といえるような特別な抵抗の感情も感じました。
最初の2日間は、壁ごしにワークしているようなものだったのです。
ラトビアはヒーラーがたくさんいる国のようです。
レイキはこの国々でもよく知られ、使われています。
ラトビアには、レイキのマスターとして、医師として、また今ではオーラソーマ・セラピストとして働いている女性がいるのですが、彼女は本当に、これから多くの人々にメッセージを伝えていく人でしょう。
これらの国でワークショップを開催することは、かなりの仕事です。
というのも、西欧のようにはコミュニケーション網が整っていないからです。
彼らのパイオニアのエネルギーには頭が下がります。
私たちは、モスクワに初めてやってきたとき、赤の広場にオーラソーマの旗を立てる代わりに、オーラソーマのロシア到着を祝い、クレムリンを前にシャンパンボトルで乾杯をしました。
私が着いたその夜は、本当にうれしかったものです。
そこでの仕事は私にとって、とても大きな癒しになりました。
というのも、彼らがオーラソーマをハートの奥深くで受け取り、ボトルをまるで宝石のように自由に体験してくれたからであり、1本のボトルは彼らにとって、お金には代えられない貴重なものだったからです。
けれどもそこで仕事をすることは、大変チャレンジに満ちたことでもあります。
というのも、環境がとにかく違うからであり、私たちは特別な方法でラトビアとリトアニアの国境を越えさえしました。
国境で足止めを食わされた私たちは、ラトビアでのワークショップを控えており、ぐずぐずしているわけにはいかなかったのです。
ダリアと私は、国境を越える手助けをしてくれるタクシーの運転手を見つけ、車の後部座席で耳も聞こえず物も言えない障害者のふりをしました。
私は彼の友人の奥さんのパスポートを借りなくてはなりませんでした。(ビザがなかったのです)
国境の警備員は運転手に、私の病気の助けになるようにと、ラトビアの有名なヒーラーの居所を教えてくれました。
車の中でじっと座って国境を越えるのは、本当に独特の気分でした。
私は本当にこんなことをするのは気が進まなかったのですが、こうでもしないかぎり、3日も5日も書類の手続きにかかってしまうということで、それではラトビアの人たちのコースに間に合わないのです。
私たちはただ、行動することに決めたのです。
そして私たちは、50ドルとウオッカ1ビンで国境を越え、オーラソーマの講義の30分前にお腹を空かし、くたくたになってラトビアのリガにたどり着いたのです。
私はそのタイミングに感無量となり、本当に謙虚になり、守られていることを感じました。
もし、私たちが国境を越えなかったら、ワークショップは行なわれなかったわけで、それは実にグリーンの瞬間だったのです。
グリーンはまさに、決断の色。
私は仕事を通し、たくさんの思いやりを経験しましたし、そこでの人々が、異次元のレベルでの強いコミュニケーションの能力があることを知りました。
私は彼らが新時代の強力な担い手となると確信しています。
『リビング・エナジー』vol.1(p37-38)
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【私たちがモスクワに初めてやってきたとき、赤の広場にオーラソーマの旗を立てる代わりに、オーラソーマのロシア到着を祝い、クレムリンを前にシャンパンボトルで乾杯をしました】というのは、なんとなくロシアのエネルギーを感じますね。(*^_^*)
日本でこんなことはちょっと考えられませんから。
【車の中でじっと座って国境を越えるのは、本当に独特の気分でした】
ドラマですねぇ。
pari 記