体の内側の感覚に頼ることを覚えていった
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「7 じっとたたずむ時」から ヴィッキー・ウォール
ヴィッキーさんにはもう起こるべきことが起こりました。
左目の視界をほとんど奪う眼底出血……。
やっとリハビリを終えてクリニックでの仕事の再開に向けて準備していたヴィッキーさんにとっては、それはあまりにも残酷な、「人間が耐えられる限度を超えている」苦難でした。
しかしそのことは、起こってしまいました。
さて、人生という夢がつづいているかぎり、何が起こってもかならず次の場面があります。
苦しみは耐えるしかなく、人はその状況のなかで生きるしかないからです。
そしてもちろん、われらのヴィッキーさんは雄々しく起こってしまった現実を受けとめ、次の段階に備えて準備を始めます。
なぜなら、ヴィッキーさんは、完全失明のおそれもあると、医者から伝えられていたからです。
たぶん、人生というものは、起こるべきことはかならず起こるようになっているのでしょう。
そして、それに逆らうときも、またそれを受け入れたときも、そのような物語が展開するのだと思います。
——————————————————————– コテージに着くと、私はマーガレットから離れ、一人夕闇にさまよい出ました。 すでに降り出していた雨と涙が混じり合い、私は自分がどこにいるのかもかまわず、ひたすら歩いて歩いて歩きました。 私の苦しみを知っているマーガレットは、そんな私を一人にしておいてくれましたが、そのうち、車で探しにきました。 それは自分自身との戦いの時であり、そして初めて、戦いに白旗を上げた時でもあったのです。
しかしのちになって、私はこの経験には意味があったことを知りました。 この出来事は、私に時間を与えてくれました。 身の回りを整理するための時間、限られた視力ではクリニックをそう長くは続けられない、という事実に慣れるための時間です。
私は巨大なアメリカン・スタイルの虫眼鏡を買い、その助けを得て仕事を続けました。 今では視力が十分あったときより、もっと自分の感覚と、内なる知識を当てにするようになりましたが、私の指は、いつも私の目だったので、その点で私は有利でした。神はやはりいいものです。
けれども、もう一方の目も悪化するだろうという医者の警告が、耳から離れることはありませんでした。 私は失明の時に備え、トレーニングを始めました。 毎日の生活の中で、わざと右目を閉じて何かをしたり、短い距離を、両目をかたく閉じて歩いたり。 そんなことをしながら、手のひらの感覚だけではなく、体の内側の感覚に、もっともっと頼ることを覚えていったのです。 私は自分でもどうしてなのか十分に分からないまま、将来の必要のために、私自身のスペースを知ることを学んでいったのです。
冠状動脈血栓の発作のあとは、かなりの間、血管に脆さが残るということを知ったのは、それから十年も後のことでした。 とくに、かなり弱っていたところに、大きな騒音が失明の引き金を引いたということもありうる、とのこと。 ここでこう言うのは、他の人がこのことを知って、ふさわしく行動できるように、との思いからです。
しかしながら、それ以後起こったことによって、私は十分に償われました。 私のなかで、変化が起こり始めていました。 肉眼の視力を失うにつれて、新しい次元のオーラの知覚(オーラを見ること)が洪水のように押し寄せ、時には苦痛に感じるほどになってきたのです。 そしてそれは、次第に他の感覚にも及び、あらゆる感覚が研ぎ澄まされていくようでした。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p63-64) ——————————————————————–
【肉眼の視力を失うにつれて、新しい次元のオーラの知覚(オーラを見ること)が洪水のように押し寄せ、時には苦痛に感じるほどになってきた】……。
いよいよ、次の場面がはじまるのですね。
pari 記