「テディントン」

「テディントン」
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「6 王の身代金」から                         ヴィッキー・ウォール
        ヴィッキーさんには人生で何度かの転機があり、そのときどきに居所を移されます。
読者であるわれわれは、もちろん、どの場所も実際にはいちども見たことがありません。
ところがなぜか、どの場所もとてもイメージがわいてしまうのが不思議ですね。
たぶん、ヴィッキーさんのその場所への愛情と思い入れが、読者であるわれわれにも伝染するんでしょうね。
そしてヴィッキーさんのお話に出てくる場所が、どこもとても美しいところに思えてしまうんです。
なかでもこの「テディントン」というのは、実際にまるで絵のような風光明媚なところのようですね。
テディントン
そして、その場所がヴィッキーさんの人生に近づいてくるその仕方が、これまたいつも同じような不思議な経緯をたどる……。
まさに、人生というのはまるでオーケストラのそれぞれの楽器のように、その人その人に固有の音色があるんでしょうね。
ヴィッキーさんの人生は、いつもヴィッキーさんの音色の経緯をたどるのだと思われます
        ——————————————————————– 「テディントン」は山の中腹に立つ、昔は十分の一税(教区、聖職者の生活維持のために物納した)のコテージで、それが一九六〇年代に私の手に入った成り行きは、まるで奇跡のようでした。
それは私がまだ、グレート・ミッセンデンで開業医として奮闘していたときのことで、家に引きこもった患者を訪ねていったとき、私は初めてキングズ・アシュという小さな部落となじみになったのです。
「テディントン」はその患者の家で、標高千八百メートルの丘の上に位置し、景勝地としてガイドブックに載るような、すばらしい眺めの場所でした。
なだらかに広がる農地に三方を囲まれ、一方が深い谷へとなだれ落ち、本当に息を呑むような眺めとはこのこと、私は往診を心待ちにし、帰りにはいつも去りがたく思ったものです。
彼女が惜しくも亡くなったとき、田舎につきものの噂話の中で、そのコテージが売りに出されていることを知りました。 当時、私の経済状態は、それほどよくはありませんでした。 糖尿病でしばらくの間入院したあとは、その日食べていくのが精一杯、まさに「働かざる者食うべからず」のことわざ通りの状態だったのです。
けれども「テディントン」のことは確かめてみようと思っていました。 本当に、その美しさといったら! あんなところに住むのが、昔からの夢だったのです。
テディントン、ブッシー公園
そしてある朝のこと、私はクリニックでの診療にまったく身が入りませんでした。 少し前に、そのコテージは、普通の不動産屋が仲介するのではなくて、バーカムステッドのある弁護士が売買を取り仕切るという話を耳にしたばかりで、しかも、隣の農地の所有者が自分の農地を広げようと、かなりいい値をつけているらしいのです。 私の心は沈みましたが、にもかかわらず、私はバーカムステッドの電話番号を回していました。
弁護士は、慇懃にたずねてきました。
「おいくらまで、お支払いになる用意がありますか」
私は、八百ポンドが上限だと答えました。
「ある方は、すでに千五百ポンドをゆうに超える値をつけてきていますが」
彼はしらっと答えました。 そんなお金は、長年かかって揃えた家財道具一式を売っても用意できそうもありません。
「とりあえずお名前をうかがっておきましょう」
そう言われて、私は自分が誰で、どんなふうにこの売買について知ったかを話しました。 電話を切ると、私はがっかりして仕事に戻りました。
その夜、心を慰めようと聖書を手に取り、ぱっと開いたところを読んでみると、こんな言葉が目に飛び込んできました。
「あなたがたの足の裏で踏む所は皆、あなたがたのものとなる」                        (申命記一一章二四節)
      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p48-49)
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いちどそんな場所を見てみるのもいいかも、と思わせるような記述ですね。
存在はあらゆるところで夢の物語を紡いでいるのでしょう。
その夢だけに見入ってしまって、物語に完全に足を取られてしまうと、人生はかなり悲惨なことにもなりかねません。
でも、いつもそれが存在が見せている夢の場面なのだとわかっていれば、それなりに一瞬一瞬がかけがいなく美しいのかもしれませんね。
pari 記
       
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