B059 Lady Portia(レディポルシャ)

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ヴィッキーさんのボトルのメッセージ:偉大な喜びと幸福の潜在的可能性

メインテーマ:正義と識別

アフォメーション:私は生命の法則を理解し、そして私は成長します。

このマスターボトルに対応するクイントエッセンスはゴールドの光です。

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自分の内側の深みからの真の明晰さを持って、慈愛と愛と正義の質を祈り (invoke)をもって導き入れる。

イエローの持つ明晰さとピンクの持つ慈愛と愛が混ざって、智慧のゴールドに近い光となっているのですね。

「他を裁く無かれ、汝が裁かれないために」という言葉がこのボトルに対して言われています。

「裁く」というのは、なにが良くてなにが悪いかという判断、ジャッジに基づいて裁くわけです。

しかし、なにが良くてなにが悪いかという判断は、物事ないし人の短所、長所を見るのと同じで、見る人の視点と状況によって、あるいは価値観によって、変わるものです。

コインには裏表があるように、そしてある物体に光を当てると、その裏側には影ができるように、光があれば闇があるように、あることが長所であれば、同じことが別の状況では短所になったりしますし、すべてには陰陽の原理があります。

例えば、落ち着きがなく、わがままだという子どもが、見方を変えれば好奇心旺盛で積極的だったり、日本では沈黙は金だと評価されても、アメリカでは沈黙は無能の印だったり、学校での劣等生がエジソンやアインシュタインのように創造的な発明家、天才だったりします。

あるいは人に対する厳しさは、自分の正義感と純粋さの表れであったりもしますし、それは完璧主義の現れで、自分にも厳しく仕事は完璧にこなすのですが、それがストレスになったりもします。

ものごとは、このように相対的で流動的なのです。

イエローの視点からは、エゴがある限り、自分の視点からの価値判断や善し悪しの判断があるので、どうしても一面的に判断してしまう傾向がありますね。

すると、ネガティブに判断すると、裁く、非難する、というふうになってしまいます。
そして人を裁くときには、同じ価値判断で、同時に自分自身に対しても裁いているのです。

逆も真なりで、自分に厳しい人は人にも厳しい目で見ています。

あるいは自分の影の側面を人に投影して、人を裁いたり非難している、ということがたいていの場合です。

例えば自分のなかに怒りがあるときに、表面上は穏やかにしていて、その怒りを無意識に抑圧して、あの人は怒りっぽいから嫌いだとか、あるいは、自分のなかに支配欲や嫉妬心があるときに、あの人は人をコントロールするから、あるいは嫉妬深いから嫌いだとか思ってしまいがちです。

だから人を裁くことは、同時に同じ目で自分を裁いているのであり、また人を非難すれば、やはり同じ目で人からも非難されがちです。

だって、同じものをその人は内側に持っているのですから。
だから、人は自分の鏡でもあるのです。

では、そのような判断や批判、裁きに対してはどうすればいいのでしょう?

ひとつはピンクの慈愛と愛でもって、あるがままに受け入れるということです。
良い面も悪い面も、あるがままに抱きしめて受け入れるということ。
自分を愛するというピンクの質をもたらすこと。

あるいはそのイエローの持つ、裁くということとか、非難するということがどういうことかを理解できれば、今度は相手の立場になって考えてみたり、別の側面から光を当てたり、別の状況、価値判断についても考え、知性を働かせることで、明晰に見ることができるようになります。

それが科学者の知性の明晰さでもありますね。

主観的な判断や批判ではなく、あらゆる側面を同等に評価し、価値を見いだすことのできる客観的な知性。

自分と他人とを客観的に、平等に評価でき、他人と自分との違いを理解し、どちらも評価し、価値を見いだすことができる。

それはイエローの持つ知性と理解、そしてピンクの持つ慈愛の融合です。

そうしたときには、「許しを通しての再誕生」ということも理解できます。

相手をほんとうに理解できたときには、相手をも許し、あるがままに受け入れ、愛することができるのです。

相手を許さないかぎり、それは自分自身を苦しめているだけなのです。

そういうことを、このボトルは教えてくれています。

ボトルのそれぞれの色には、ポジティブの側面、ネガティブの側面、チャレンジの側面、ギフトの側面、すべてが含まれていて、しかしそれはいいとか悪いとかではなく、それらが同等の価値を持って存在しているわけです。

レッドは同じエネルギーであっても、それがポジティブに現れれば目覚めのエネルギーであり、情熱、パッションになり、そのエネルギーがクリエイティブに使われないときには怒りとなり、その怒りのエネルギーが内向して恨みになったり憎しみになったりするわけです。

それは、どのようにその色のエネルギーを使っているかの違いです。
そのことに、それぞれのボトルの色は気づかせてくれるわけです。

自分はその色の、どの側面をどのように使っているのだろうかということです。

そして、人それぞれに得意な色(色のポジティブの質)、不得意な色というのがあります。

アメリカの教育は、得意な色の質を思いきり伸ばすという個性重視、天才教育重視ですが、日本はどちらかというと、みんなが同じ色、あるいは全部の色を均等に持つように・・・というような均質的な教育です。

それも、それぞれの特質で、どちらがいい悪いとかは、状況と時代次第で変わるわけです。

かつてはジャパン・アズ・ナンバーワンで、アメリカでさえも日本に見習えという時期があったかと思うと、今ではアメリカがナンバーワンで、なんでもかんでもアメリカをサル真似しようとして、ますます落ち込む日本ですからね。

物事をある価値観や善し悪しで判断するのではなく、智慧と愛でもって洞察をほどこしていくことによって、バランスをもたらすことが大切です。

それが女神レディ・ポルシアのジャスティス、正義であるわけです。

ポルシアはシェイクスピアの「ベニスの商人」のなかで、ユダヤ人のシャーロックが、借金を返せないなら肉を切り取るという契約をたてにアントニオの肉を切り取ろうとしたときに、「肉は切り取っても血を切り取ることは許されない」、という機知で、シャーロックからアントニオを救った女性でもあります。

 



それは屁理屈なんじゃないの? と思ってしまいますけど・・・。

だって、肉を切り取れば血が出ることは当たり前なのだから、それは契約に含めて考えるのが通常ですよね。

とは言っても、契約の文言を厳格に解釈すれば、こういう屁理屈も実際上有効なのですよね。

契約の国のお国柄がここでも現れています。

でも、もともとそういう契約は公序良俗に反して無効だとも思いますし・・・。

いずれにしろ、ベニスの商人のなかでのポルシアは、悪者の高利貸しのシャーロックから、善人のアントニオを、その智慧と愛でもって救った、正義を実現した女性と考えられていますが、もっと深い心理を探れば、シャーロックとアントニオ、どちらが善人でどちらが悪人かということは、一概には言えないかもしれません。

あらゆる戦争と争いは正義と正義の争いである、ということを考えると、いったいなにが正義なのだろうかと思ってしまいます。

現実の社会では、そういうことを承知の上で、争うときには争い、一方的な正義であろうと、正義を主張すべきときには正義を主張するという覚悟が必要なときもあるのでしょう。

タロットはスォードの6

 


生命の木は6番目のスフィア、ティファレットです。

 

 

尚 記

 

 

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