B39 Egyptian BottleⅡ/The Puppeteer(エジプシャンボトルⅡ)

 

http://artbeing.com/aura-soma/equi/B039.html

ヴィッキーさんのボトルのメッセージは「知識と奉仕──慈愛と理解」

メインテーマは「はかり知れない深い恐れを癒す」

下の色に、ツルー・オーラ、真の自己、知恵、あるいは不条理な恐怖や混乱を表すールド

上の色に、奉仕やヒーリング、瞑想、あるいは二元性を越えてひとつとなることを表すァイオレット

どうしてこの組み合わせがパペッティア、操り人形師、というボトルの名前になっているのでしょう?

私たちは操り人形のようなものです。

なにによって操られているのでしょう?

無意識によってです。

心理学によると、私たちの意識というのは氷山の一角のようなもので、90%は海面下の無意識によって支配されているのだそうです。

実際、自分の生活を振り返ってみればわかりますね。

怒りや悲しみ、嫉妬などのいろいろな感情がやってきては、それに振りまわされてしまいます。

さまざまな思考、マインドがやってくれば、その考えでいっぱいになってしまい、考えることがやめられなかったり、知らないうちに、いろいろなことを考えてしまっています。

さまざまな習慣や、条件づけの奴隷になってしまっています。

そもそも生まれながら肉体にしくまれた遺伝子、DNAに仕組まれた本能、食欲、性欲やさまざまな欲望にも支配されてしまっています。

では、どのようにして、それらの操り人形ではなく、操り人形師になることができるのでしょう?

ゴールドヴァイオレットは、そのためにどのような鍵を示しているのでしょう。

ひとつはゴールドの真の自己に目覚めることによって

あなたの真の自己は肉体ですか? 感情ですか? 思考やマインドですか?

実はあなたの真の自己はそのいずれでもないのです。

禅ではその真の自己を探求します。

ゴールドはハラの領域ですね。

禅では、そのハラに坐ることによって、その真の自己の存在の深みに到達していくのです。

そして、ヴァイオレットでは瞑想、二元性を越えることによって、あなたは肉体でもなく、感情でもなく、思考でもなく、それらをただ観ている意識、観照者であるということに気づき、それらを越えた操り人形師となるのです

ヴァイオレットの二元性を越えるというのは、ある意味でシェイクスピアに象徴されます。

優秀な役者が演じているときには、その役割に同一化して、それを演じている自分と、醒めて観察している自分が必要だとされます。

つまり、役を演じていながら、同時に役は自分ではない、ということにも気づいているのです。

自分は、人間としてこの肉体を持ち、感情や思考があると同時に、それらに巻き込まれないでいる自分があるということにも気づいているということです。

タロットは「カップのナイト」

ウエイト版では鎧を着て、羽根の生えた兜をかぶり、馬に乗った騎士が右手にカップを持って見つめています。

クロウリー版では、カップのプリンスがこれに該当するようです。

プリンスは、鷲が引く戦車に乗って、水面の上をすれすれに飛んでいます。

頭の兜の上にも鷲がいます。

右手にロータスを持ち、左手に蛇の入ったカップを持って、そのカップにいる蛇を見ています。

水の上を飛んでいるということは、感情にひたっているわけではないようです。

鷲と蛇は、占星術では蠍座を意味し、感情的な情熱、欲望、変容を象徴しています。

ですから、ここでは情熱的なハート、感情的願望をマスターすること、あるいはそれによって変容したいという願いを表します。

生命の木では2番目のスフィア、コクマ(ホクマ、チョクマ)に位置しています。

ティファレット、ビナー、コクマ、マルクトには、数字のカードだけでなくキング、クイーン、ナイト、ページなどのコートカードも位置するのです。

えたに 記(2005,4/06)

 

☆B39 Egyptian BottleⅡ/The Puppeteer(エジプシャンボトルⅡ/操り人形師)のボトルはこちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。

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