B081 Unconditional Love(無条件の愛)その2

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ボトルのメッセージ:思いやりと理解、愛と自己受容の必要

メインテーマ:自分と他者への最上の慈悲、思いやり、暖かさ、愛。

アファメーション:私はなりたい自分ではなく、ありのままの自分自身を愛します。

前回は、色の言語から見たピンクの愛について、書いてみました。

ピンクというのは、レッドクリヤーの入った色でしたね。

ピンクの愛について理解するには、まずレッドの愛について理解することが大切です。

なぜなら、それがピンクの愛のはじまりであり、入り口だからです。

レッドは基本的な生命エネルギーであり、情熱と性欲、肉体とセックスを表します。

私たちは、このレッドがなければ生きていけませんし、存在することもできません。

私たちが人間として存在するための基礎のすべてが、ここにあります。

私たちはセックスによって生まれ、セックスにより肉体として、生命エネルギーを持った存在として存続していくわけです。

そして、セックスは愛の出発点でもあるということです。



その情熱が変容され、性欲を超えることができたときに、セックスは愛に変容していくことが可能になってくるのです。

つまり、セックスが愛に変容されるためには、まず第一に必要なことはセックスの神聖さを受け入れることだ、とOSHOは言います。

セックスを抑圧することによってではなく、それを神聖なものとして受け入れ、理解することが必要だと彼は言うのです。

それは、抑圧することによってそれに縛られるが、神聖なものとして受け入れることによって、それから自由になることができる、と。

「セックスから超意識へ」(めるくまーる社)というOSHOの本があります。

http://amazon.co.jp/o/ASIN/4900612014/oshoartunity-22/ref=nosim

これは、これまでのセックスや愛についての既成概念を変えた革命的な講話を本にしたものです。

もし、愛についての理解を深めたいという方は、読まれるとよいと思います。

セックスから愛へ、そして超意識へと変容されていくための道が語られています。

彼の言葉の一つひとつが、とても詩的なんですね。

たとえば、彼はこのように語ります。

もし、あなたが愛について基本的な真実を知りたいなら、まず第一に必要なことは、セックスの神聖さを受け入れることだ。

セックスの神性を、神の存在を受け入れるのと同じようにハートを開いて受け入れることだ。

開かれたハートとマインドでセックスを十分に受け入れれば、それだけあなたは自由になる。

が、抑圧すればするほど、あなたはそれに縛られる。

あなたは受け入れる分だけ開放される。

生を全面的に受け入れたら、生のなかで自然なことはすべて、生のなかで神によって与えられているすべてを受け容れたら、それはあなたを神性の最も高い領域、道の高み、崇高な高みへと連れてゆく。

私はこの受容を有神論と呼ぶ。そして神によって与えられたものへの、この信頼は、開放へと向かう扉だ。

私は、生のなかの自然なもの、神の計画のなかの自然なものを人間に受け容れさせないような教えを無神論と見なす。

『これに反対しろ、あれを抑圧しろ、自然は罪深く邪悪だ、欲望に満ちている。これを捨て、あれを捨てろ』

私が理解するかぎり、これらすべてが無神論を構成する。放棄を説く者たちは無神論だ。

生をその純粋で、自然な形のまま受け容れなさい。そして、その豊かさのなかで栄えることだ。

満ちあふれていること自体が、あなたを一歩一歩、上へ引き上げてくれる。

まさに、このセックスの受容そのものが、あなたが想像もできなかった雲ひとつない高みへと、あなたを引き上げてくれる。

もしセックスが石炭だとすれば、それがダイヤモンドとして姿を現す日が来るのは確実だ。これが第一の原則だ」

「セックスから超意識へ」 めるくまーる社 出版


そしてセックスには3つのレベルがあるというのですね。

第一のレベルは肉体のレベル、第二は心理的レベル、そして第三は霊的なレベル。

肉体のレベル、これはレッドのレベルですね。

心理的レベル、これはフロイトとかユングが語っていた心理的なレベルです。

そして霊的なレベル、存在と、あるいは宇宙とひとつになる、というヴァイオレットのレベルですね。

セックスというのは交合と日本語では言いますが、ひとつになるということ、ひとつになりたいという欲求でもありますね。コミュニオン、合一して一体となるということでもあります。

ところが、このひとつになるということを妨げているブロックがあるがために、セックスから愛に向かっているエネルギーが向かっていくことができないのです。

そのブロックは何か?

それは、今日まで、文明、文化、そして宗教によって私たちの内側で強められてきた「あるもの」なんです。

それはエゴ、「私は在る」という意識なんです。

そこでOSHOはこのように語ります。

「セックスエネルギーの本性は、愛に向かって流れようとする。ところが”私”という障害が壁のように囲っているので、愛は流れることができない。

この”私”は悪人にも善人にも、聖人だけでなく罪人のなかにも強固にある。

・・・

エゴが強ければ強いほど、その人が誰かと一体となることはむずかしくなる。
あいだにエゴが入りこんでくる。”私”が自己を主張する。それは壁だ。

それは「あなたはあなたで私は私だ」と宣言する。

そのため、最も親密な体験でさえ人を互いに近づけることはない。

身体は近くにあるだろう、だが人は遠く離れている。

この”私”が内側にある限り、この”他者”という感覚は避けられない。

いつか、サルトルはすばらしいことを言った。「他人は地獄だ」

が、彼はなぜ他人が地獄なのか、すなわち、なぜ他人は他人なのか、それ以上説明しなかった。

私は私だから他人は他人だ。そして私が”私”であるあいだは、周りを取り巻く世界は他者だ。異なり、分かたれ、分離されている・・・ひとつになることはない。

この分かたれているという感じがあるかぎり、愛を知ることはできない。

愛はひとつになるという体験だ。

壁が取り壊されること、ふたつのエネルギーの融合、それが愛の体験だ。

愛はふたりの人間のあいだの壁が消え去るときの、ふたつの生命が出会うときの、ふたつの生命がひとつになるときの、エクスタシーだ。

二人の人間のあいだにそのような調和が存在するとき、私はそれを愛と呼ぶ。

そしてそれがひとりの人間と多数とのあいだに存在するとき、私はそれを神との交合(コミュニオン)よ呼ぶ。

もしあなたが、傷害すべてが溶解し、霊的なレベルでの浸透が起こるようにと、私とともにその交合のなかに沈むことができたら、そのときそれは愛だ。

もし、私と他者すべてのあいだにその合一が起こり、<すべて>なるものの内に私が自分の存在証明を失ったら、そのときには、その達成、その融合は<神>とのものだ。

<全知の神>との、<宇宙意識>との、<至上者>との、それはあなたの呼びたいように呼ぶといいが、<それ>との融合だ。

そのゆえに私は、その愛が最初の一歩で、<神>が最後の一歩、最高にすばらしい終着点だと言う。

”私”を消すことはどうしたら可能だろう?・・・」

「セックスから超意識へ」 (めるくまーる社・出版)


“私”が消えたとき、そのとき、レッドの愛は変容され無条件の愛、ピンクの愛が可能になってくるのです。

それがピンクの愛ピンクレッド気づきの光、クリヤーが入った色になるのです。

それでは、それが可能になるには、どうすればよいのでしょうか?・・・・


時間切れとなってしまいましたので、それは次回ということにしましょう。

今回は、コーラルマゼンタの愛についての予定でしたが、そこまで行き着けませんでした。


タロットで見ると、「女帝」の第2レベルです。

https://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B081.html

えたに 記

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https://artbeing.com/aura-soma/equi/B081.html

 

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