https://artbeing.com/aura-soma/equi/B026.html
ヴィッキーさんのボトルのメッセージ「もう一度元通りにする。ショックを吸収する(ショックアブソーバー)」
メインテーマは「ショックとその結果(すべてのレベルにおいて)」
このボトルの名前はエーテルレスキュー、ハンプティ・ダンプティ。
オーラソーマを知っている人にとっては、このボトルはいちばん有名で、ダントツのベストセラーだそうです。
なぜでしょう?
誰だって、これまでショックなことを経験したことのない人はいませんし、「あなたには過去にショックなことがあって、それが心のトラウマになっています」と言われると、そうかなと思うでしょうし、「インナーチャイルドの心の傷を癒す必要がありますね」と言われると「このボトルが必要だわ」と思うでしょう。
でも、オーラソーマを知らない人にとっては、「もう一度元通りにする」、「ハンプティダンプティ」、「ショックを吸収する」、と言われても、「なんのこと?」と思いますよね。
このボトルは、見てのとおりオレンジで、オレンジは第2のチャクラ、そして第2のチャクラは第2の身体、エーテル体と関係します。
色の言語とサトルアナトミー(微細エネルギーの解剖学、チャクラやオーラの意味と構造)の基本的な知識があれば、このヴィッキーさんのボトルのメッセージや名前の意味することが理解しやすいでしょう。
しかし、あまりにもショックアブソーバーとしてのボトルのイメージが強すぎて、オーラソーマを習ってボトルの意味を知ってしまうと、このボトルに目が行っても、ショックボトルだからと、わざと選ばなかったりすることがあるかもしれません。
ボトルの意味を知ってしまうと、ついその知っている意味でボトルをジャッジしていることがあるかもしれません。あるいはボトルの意味で選んでいたり・・・など。
それはともかく、このボトルの基本は色の言語でわかるとおり、そのオレンジの色、感情、満足、至福、ジューシーな感覚と関連しています。
だから、このボトルを選ぶ人は社交的に楽しい人であったり、感情や感受性豊かで、感じることの喜びを知っている人でもあるのです。
ところが子どものときにショックなことがあったり、あるいは思春期とか、大人になっても、事故にあったり、手術をしたり、精神的に驚くようなことがあったりすると、そこで感じることをやめてしまうのです。
感じることをストップしてしまう。それがショックという状態だともいえます。 オーラで見ると、オーラが身体から避難してはみでてしまうわけです。
よく映画などで、ショックな知らせを聞いて気絶するというシーンがありますね。
あるいは冬とかに暖房機をつけすぎて、電気の要領が許容範囲を超えてヒューズが飛ぶなど。
それと同じで、ショックが強くて許容範囲を超えると、感受性のヒューズが飛んで、感じなくしてしまうのです。
それをヴィッキーさんのように、オーラが見える人から見るとどうなっているか。
「オーラはひび割れ、身体の端に移動したままで、旅立ちもせず、かといって戻る様子もありません。 こうした現象は、のちに交通事故や感情の危機、手術など、ショック状態に陥ったたくさんの人にみられたもので、それ以来、私はそれをオーラの分離、あるいはエーテル体のギャップと呼ぶようになりました。
それはまさしく、魂あるいは神の花火が生命の「脇道」に滑り込み、肉体があまりにも耐えがたい状態のとき、助けの手が伸びて癒しが起こるまで、しばしの休養をとろうとしている状態なのです」 『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』ヴィッキー・ウォール著 より
https://artbeing.com/cd_book/aurasoma1/BKJ02.html
ヴィッキーさんの本を持っておられる方は読んでみてください。 とてもリアルに、そのときの状況が書かれてあります。
それは彼女が戦時中、死に逝く人々を観察したことでもあり、とりわけ
「爆弾が武器工場に投下され…ショックや怪我を受けた人は400人に上り、たくさんの人が命を奪われ、生きているのか死んでいるのかわからない身体があちことにごろごろと転がり、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵でした」、という状況で観察されたことでもあるのです。
でも、ヴィッキーさんのような人は
「そのような修羅場のなかで、私はパニックに陥らずにすむように、外の状況に一定の距離を置き、傷つきやすい肉体から意識を内へとひきこもらせました」というようなことができるようです。
そういうことができないと、ショックをまともに受けて、エーテルギャップからオーラがずれてしまうわけです。
あるマスターの話を本で読んでいたとき、そのマスターはある手術を受けていて、通常なら耐え難い痛みのはずで、麻酔なくしてはできないはずなのに、なにごともないかのように平然としていたそうです。
それは意識を身体の外に出していたからだと書いてありました。
私もあるとき、ひどい腰の激痛で数日間まったく身体を動かせずに、寝ていなければない羽目に陥ったときに、それに近い経験をしたのでわかります。 あまりに痛みがひどいと意識は身体を離れてしまうのです。
ある霊能者の本には、交通事故などで死んだ人はひどい痛みだろうと思うけれども、でもそのときにはすでに意識は身体を離れているので、本人は痛みを感じていない、という話しも書かれていたのを読んだことがあります。
オーラがショックのときに脇道にそれる、という話をしていたはずですが、オーラだけでなく、話しもどんどん脇道にそれていくようなので、もとに戻します。
こういうときにはオレンジのポマンダーをつけるといいのかもしれません。(冗談です)
ヴィッキーさんは、霊的な視点から見たこのようなオーラの状況を「ハンプティダンプティ」と名づけました。これはヴィッキーさん特有の文学的表現で、英語の文化圏の人には、この歌は子どもが歌う歌として常識のようです。
日本で言うと・・・「めだかーの学校は・・・」というたぐいの歌ではないかと思います。
初めて、このハンプティダンプティなる言葉を英語のワークブックで見たとき、なんのことやら理解できなかったのを思いだします。
ハンプティダンプティ。
つまり肉体的にも精神的にもばらばらな感じがして、「立ち直ることができない」状態のことを意味します。
歌の歌詞はこうです。
ハンプティダンプティ塀の上 ハンプティダンプティ落っこちた 王様の騎兵をみんな繰り出しても、 王様の歩兵をみんな繰り出しても ハンプティもとには戻せなかった。
要するに、ハンプティダンプティという人形があって、それが塀に座っていたのですが、塀から落ちて、手足や首とかがばらばらになってしまい、それを元通りにくっつけようと四方八方手を尽くしたけれども、元通りにはできなかった・・・という意味のようです。
しかし・・・このオレンジ/オレンジのボトルを使うと、不思議なことに、ハンプティダンプティも元に戻ってしまうのです。
というのがヴィッキーさんのいうところのハンプティダンプティ、なる意味です。
ヴィッキーさんはこのように言います。
「こうした(ハンプティダンプティのような)状況は、はるかなときを超えて、今に持ち越され(つまり過去生のそのようなトラウマや傷ってことでしょう)、肉体の病気や「説明のつかない」不調を伴う内面の動揺となって現れることもあります。(つまり、どういうわけか水が怖いとか、狭いところが怖いとか。過去に水でおぼれて死んだのかもしれないし、狭い独房に閉じ込められたとか、身体のある部分が理由もないのに痛んで仕方がなく、どこで調べてもらっても原因がわからなかったら、実はそこを槍で刺されて死んだ過去があったとか・・・)
多くのセラピストは、このオレンジのオイルを身体の側面に塗って効果をあげています。 ハンプティダンプティが元にもどるのは、いつだって、とても気分のいいものです。
説明が長くなりましたが、要するに、ひとことで言うと、ショックでエーテルギャップから「真のオーラ」がずれたときに、ショックトリートメントの方法で、このボトルをぬることで、その状態を癒すことができます…ということです。
ショックトリートメントの方法は、下記の使用部位のところを参照してください。
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左の耳の下から足首にかけての左の側面と、オレンジの領域、おへその下あたりのお腹の周りをぐるりとぬります。
そうすることで、感じるという感受性を取り戻す助けになります。
また、オレンジは色の言語では、感情などの感じるという側面、満足、ということと関連しますが、自分で感じなくすませる方法として投影という問題があります。
たとえばセクシャルなことを自分のなかで抑圧して感じないようにしていると、それを他の人のなかに見てジャッジしてしまったりします。そう感じたときは、まず自分のなかのセクシャリティを認識するチャンスです。
自分が他者のどういうところを嫌だと思ったり、嫌っているのか。 それを自分で観察すると、自分のなにを抑圧しているかがわかってきます。
タロットは「ワンドのペイジ」
ワンドの持つエネルギーを手にし、それを創造的に使っていこうとしているようです。
自分のエネルギーを創造的に使っていますか?
えたに 記(2005,1/05)