「無理強いしない」「自分で選ぶ」ということ
「オーラソーマをふりかえって」より 武藤悦子
オーラソーマという意識のツールが、相対的には圧倒的に女性にのみ支持されていることは疑問の余地もない事実です。
もしあえて、それがなぜなのかと問えば、きっと色々な理由が見つかるのではないでしょうか。
あらゆる現象は全体の不可分の部分として組み込まれているでしょうから、現象世界に偶然などじつは一つもないはずです。
だとすれば、オーラソーマがこの時代に現れたことにも、きっと明確なタイムライン上の必然があったと考えるほうが自然です。
もしこれまでの男性原理に極端に偏った社会構造のバランスを、ここで大きく回復しようとする宇宙的プロジェクトがあったとしたらどうでしょう?
そのプロジェクトの企画チームは、きっと明確にDNA的な男女差を選択的に狙い撃ちする方策を考えると思いませんか? (*^_^*)
なぜなら、それはいままで眠っていた女性たちを目覚めさせるトリガーを引くプロジェクトであるはずだからです。
比較的に男性があまり反応せず、女性だけが敏感に反応するものとは何か? (-_-;)
どうやったら、そういうものを狙い撃ちできるか?
美しさに敏感な女性……調和の感覚に敏感な女性……。
しかし、自ら“仕切る”立場を選ぼうとしない女性……。
想像するに、なかなかチャレンジングなプロジェクトだったかもしれませんね。
それは「女性原理」と言われるような何かを、ヒットするものだったかもしれません。
オーラソーマは、そのようなバランスを回復するための宇宙的な“決め手”のひとつだったのではないでしょうか。
では、そのようにして選択されたかもしれないオーラソーマは、実際にはどのような特徴を持っていたか?
日本のオーラソーマシーンの代表的プレイヤーの一人である武藤悦子さんの記事「オーラソーマをふりかえって」から、その辺りの機微に触れる部分をご紹介しましょう。
—————————————————————— ヴィッキーがこの世にもたらしてくれた意識の成長のためのすばらしいツール、オーラソーマカラーケアシステム。 マイクとクローディアが世界中に分かちあい、今まで多くの方がその恩恵にあずかっています。
美しい宝石のようなイクイリブリアムボトルを選ぶことにより、自分の才能や可能性に気づき、そのカラーをもたらすことにより自分らしく生きることができる― オーラソーマに出会えることはとてもラッキーなことだと思います。
きっと、みなさんがそうであるように、私もオーラソーマとの運命的な出会いがありました。 1993年に初めてオーラソーマのボトルを見たときにひとめぼれをして、直感でこれは自分が一生かけてやっていくものだと感じたのがはじまりです。 その後、セドナで学び、1995年3月からはプラクティショナーとして活動しています。
1994年に初めてコンサルテーションを受けたときに感じた感動は、「無理強いしない」「自分で選ぶ」ということ。 それは答えを与えるというやり方ではなく、自分が選んだボトルを鏡として、そこに写った姿を見せてくれるもの、気づかせてくれるもの。 これこそが私の求めていたものであり、この20年ほどの間、ずっと私がオーラソーマを通じて分かちあってきたやり方です。
色とりどりの美しいボトルを楽しんで選ぶように、私たちもまた自分の人生を楽しんで選ぶことができるのです。 人生には多くの可能性が、選択肢がある――そのことは、どれほど多くの人を勇気づけたことでしょう。
その後、セドナ、オーストラリアのアリススプリングス、オーストリアのインスブルク、イギリス本校、ギリシャのクレタ島、スペインのサンチャゴ・コンポステーラなど、さまざまな国で学び、ティーチャーとして、ブリッジコースを含む各種コースを行っております。
私が大切にしていることは、ヴィッキーがいちばん伝えたかった「人が本当の自分に戻ること」です。
それは、オーラソーマを通して、多くの方が本当の自分を知り、自分を癒し、自分らしく生きていくこと。 偉大なる内なる教師の声に耳を傾け、自分の可能性に気づき、輝いて生きることです。
また、ヴィッキーの人生のように「やってみること!」も大切にしています。 なにごとも、やってみなければわかりません。 自分の可能性を信じて、闇ではなく光を、ネガティヴではなくポジティヴに軽やかに生きることも伝えています。 私はマイクとクローディアが1997年に初来日したときに、日本をリードする5人のディレクターのひとりとして任命されました。
私のソウルボトルはB34「ヴィーナスの誕生 (ピンク/ターコイズ)」です。 ひと言で表すと「ハートで感じた真実を、愛をこめて多くの人たちに分かちあうこと」です。
日本のオーラソーマの発展において、私とオーラソーマの関わり方も、まさにこのボトルの持つエネルギーそのままだったと言えるでしょう。
5人のディレクターのなかでも、私は企業家という方向ではなく、あくまでもプラクティショナー&ティーチャーとして、コンサルテーションやティーチングに尽力してきました。
本の執筆や、雑誌の取材や記事の掲載、講演などマスコミュニケーションにもエネルギーを注いできました。 ハートで感じた真実を、多くの人たちに愛をこめて分かちあってきたのです。
それは、私の最初の著書『クリスタルブック』を1996年3月に出版した際に、オーラソーマについて書いたことがはじまりでした。 そして、1996年12月、マイクブースの『オーラソーマ ヒーリング』の出版のお手伝いをさせていただきました。
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http://amazon.co.jp/o/ASIN/4900550566/oshoartunity-22/ref=nosim
『オーラソーマ パーフェクトガイド』を2003年10月に出版し、マイクから「この本をすすめます! 武藤悦子さんとは、最初は生徒として、後には同僚、友人として、長年の知己にあります。この本の出版は、日本におけるオーラソーマの発展のさらなる一歩として記念すべきことです。
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http://amazon.co.jp/o/ASIN/4072867691/oshoartunity-22/ref=nosim
武藤悦子さんが歩いてこられた自己成長の道が、オーラソーマに深い洞察をもたらしており、本書にもそれがよく表されています」とご推薦いただきました。
マイク・ブース氏に深く感謝しています。
『リビング・エナジー』Vol.8(p20)
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なるほど。
武藤さんがオーラソーマに関して最初に感じた感動は、「無理強いしない」「自分で選ぶ」ということだったんですね。
これは「女性原理」を深部でヒットするための、最重要ポイントだったのかもしれませんね。
pari 記
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