今回のボトルはイエロー/グリーンです。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B007.html
ヴィッキーさんからのボトルメッセージは「生のプロセスを信頼する知恵」
ボトルの名前は、ゲッセマネの園。
キリストがイスカリオテのユダの裏切りによって逮捕された場所でもあります。 そして、キリストは有罪にされ、十字架で磔(はりつけ)にされるのです。
最後の晩餐の後、キリストはエルサレムの近くにあるゲッセマネの園で、自分の苦難を予見しながらも、「御心のままに」と神に祈りを捧げます。
そのころ、弟子たちはキリストの気も知らずに眠りこけてしまうのです。
キリストが祈りを捧げていると、予見どおり十二使徒のひとりであるユダが、祭司長たちや民の長老たちの遣わした群衆とともにやって来ます。
「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」 (聖書、マタイによる福音書26章より)
そして、イエスは捕らえれるのです。
これは、このボトルとどういう関係があるのでしょうか。
イエスは預言を実現するために、自分の苦難を知りつつ、その運命にしたがったのです。
人生には、どうなるのか知りながらも、なりゆきに任せるしかないこともあります。
「ただプロセスを信頼する」ということも知恵のひとつです。
人生万事賽翁が馬。
人生において、なにがいいのか、悪いのか・・・本当のことはわかりません。
小さなイエロー(エゴ)からみた場合は不幸や苦難に見えることもありますが、ブルーの大いなる存在の流れから見れば、それがその人の人生の使命を果たすには必要なことなのかもしれません。
その困難を克服することによって、そのひとの才能が開花し、結果的にはその人にとってよかったといえることも多くあります。
そういうことを考えると、なにがそこで起ころうとも、それは自分の成長にとっての機会として、前向きに生きていくことが大切です。
ただ、大いなる存在の流れを信頼し、身を委ねられるかどうかが試されているときなのかもしれません。
キリストが十字架で磔にされなければ、キリストの教えがこれほど世界に広まることはなかったでしょう。
そういう意味で、磔はイエスにとっては災難でしたが、彼の教えが広まるという意味ではよかったのかもしれません。
しかし、それでキリスト教が現在の宗教形態になったことがいいのかどうかはまた別の話ですが・・・。
これまで、どれだけの人々が宗教のために争っているのかを見てもわかります。
オーラソーマではイエローが小さな意志だとすると、ブルーは大いなる意志を表しています。
イエローとブルーがあわさってグリーンになります。
グリーンのハートのなかで、小さな意志と大いなる意志が、方向性を見いだすことを表すボトルとも言えます。
ヴィッキーさんは、このボトルについて次のように語っています。
このメッセージはとても詩的で美しいので、そのまま引用してみましょう。
「このオイルは魂の進化のはじまりに関係があります。
魂はイエロー、またはゴールドによって表現されている知恵を使うのにふさわしいスペースと場所を求めており、それがグリーンで表されています。
グリーンはスペースであり、魂の自由を意味します。
魂にはいつも自由が必要ですから。
魂はさすらうことができるし、そうすることが必要で、魂をしばることは、ハートを麻痺させ、進歩を遅らせるだけ。
魂には翼があって、どこへでも行きたいところへと飛んでいける必要があるのです。
知恵(イエロー)は、自由な魂の導き手であり、それによって魂は、その自由をこの世の使命に役立てることができるのです。
そしてあらゆる人にとって、なにより大切なのは、より高い意識へと至ることなのです」
(「ヴィッキー・ウォール「オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング」より)
魂には自由が必要であり、魂をしばることはハートを麻痺させてしまう。
それが積み重なると、心筋梗塞や心臓麻痺になってしまうのでしょうか。
タロットは、戦車(チャリオット)です。
ウエイト版では、若い王子とおぼしき男性が、星の王冠をかぶり、王杖を持って、二頭立ての馬車に乗っているのですが、なんと馬ではなく、二頭の白と黒のスフィンクスです。
陰と陽、男性性と女性性、光と闇、善悪などを象徴しているようです。
戦車にスフィンクスなんて変ですね。
スフィンクスは石でできていて、昔から一歩たりとも動かないのですから。
チャリオットを馬のように引っ張るわけがありません。 しかも、この王子は手綱さえも持ってません。
彼は、この戦車に乗って、どこへ行こうとしているのでしょう?
どこへも行きはしないのです。 これは、ただ自分自身でいることのパワーを表しています。
コントロールに手綱は必要ですが、真のパワーがあれば、ただその存在だけで物事がしたがい、おさまるのでしょうか。
しかし、イエローの個であることのパワーですから、鎧で防御することも必要なのでしょう。
クロウリーのタロットでも、御者は全身を鎧で覆って、あぐらを組んで座っているのです。 瞑想の姿勢といえないこともありません。
手綱の代わりに、カルマのシンボルである、回転する運命の輪を両手に持っています。 運命に逆らうことなく、存在とともにあることのパワーを象徴しているのでしょう。
両者に共通するテーマは、パワーとコントロールについてのようです。
イエローのパワーチャクラ(センター)の問題でもありますね。
グリーンのハートにくつろぎ、運命の流れに身をまかせ、自分自身であることにくつろぐことができれば、そこに本当のパワーがあるのです。
えたに 記(2004,8/21)