エッセンスによるパーソナリティーの同化 マイク・ブース
もうじき2012年の1月も終わってしまうんですね。
2012年の一年も、こんなふうにあっという間に終わってしまうのでしょうか。
それとも何か、また忘れられない特別の年として記憶に刻まれるようなことが起こるのでしょうか……。
何やかやいずれにしろ変化は避けられないでしょうが、あまり大変なのは嫌だなぁとか、まあマインドは勝手なことを言うものです。
人間の身体が食料を食べて生きているように、もしかしたら、人間のマインドは新しい“情報”を食べて生きているのかもしれませんね。
いつもいつも新しい情報を求めているようなところがあります。
けれども、身体が過食には耐えられないように、人間のマインドもそんなに多くの情報を本当の意味で“消化”できるはずもありません。
また本当にそんなに多くの情報が必要なはずもありません。
入ってきた情報を、本当に消化する暇もなく、ついつい次の新しい情報の方に注意が向かってしまうのかもしれません。
人間のマインドが情報中毒になっているのは確かだと思われます。
そのあたりと関係するかどうか、今回のマイク・ブースの言葉を味わってみましょうか。
——————————————————————– ときどき人々は私にこう言う。 「ヴィッキーが分かち合っていたことを、私たちにも話してくれませんか?」
私はいつも喜んで彼らの要望に応えています。 そこに期待されているのは、今まで語られることのなかったような情報であり、あるいはしばらくの間、心理の調理器のうしろにあるコンロで、じっくりと煮てきたような情報です。
でも事実はそうではありません。 つまり私が思うには、この信頼は経験なくしてはありえないもので、たとえばそれは、あなたが誰かを愛するときに経験するような、精神(マインド)の流れの融合というものが存在するということなのです。
そこで何が融合するかというと、精神(マインド)の流れによって運ばれている目覚めの質なのです。 それは伝えられるというよりも、むしろ遺伝上の絵のような、エッセンス(下層)を形づくる初期の条件をもったパターンなのです。 次に起こる条件づけとして、パーソナリティーは、世の中での私たちが行う外側への表現であり、それが発達し始める(上層)。
そのとき起こることは上層と下層の融合です。 いっしょに振ることによって、目覚めの可能性の中で花が咲くことになるのです。
これは、こういった師や愛する人によって、パーソナリティーに及ぼされる力のためです。 どのように愛するかを知っている人たち、そしてエッセンスによるパーソナリティーの同化が起こる。 そしてパーソナリティーは、こういった愛された人によって、栄養を受けたエッセンスの統合によって豊かになるのです(たとえそれがこのように思えないようなときでさえ)。 その紛れもない切迫感、行為といったものは、私たちが自分を超えていくのを助けるものです。 そしてそれは、本当に私たちを心にとめてくれた人たちの行為なのです。 こういった影響のいくつかがわかってきたことで、それが持っているもの、それが何なのか、何が起こっているのかを今認めて、本当に幸福であり、感謝を感じています。(p56)
『リビング・エナジー』Vol.4(p17) ——————————————————————–
たしかにねぇ。(-_-)
> そこに期待されているのは、今まで語られることのなかったような情報であ > り、あるいはしばらくの間、心理の調理器のうしろにあるコンロで、じっく > りと煮てきたような情報です。
とは、適確なことをおっしゃいますねぇ。
しかし、そんなものが次から次と転がっているわけないでよね。
その前に、まず情報を受け取る能力、キャパシティのほうを涵養しなければならないんだ……。
勉強になりますねぇ。
pari 記
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