上下二層のカラーボトル「イクイリブリアム」を4本選ぶ場合、2番目に選ばれるボトルが「ギフトとチャレンジのボトル」と呼ばれていることは、たぶんご存知でしょう。
そして、コンサルテーションでは、まず最初に、このボトルから使いはじめることを勧められるわけです。
このネーミングはとても洗練されてきたと思います。
オーラソーマが日本に輸入された当初は、この2本目のサイト表現は「課題となる性格の側面:」というふうになっていました。
つまり、4本ボトルの選択でこのボトルを2本目に選んだ方は、性格的にこんな課題を抱えているかもしれませんよ、と指摘されたような感じを受けるわけです。
もちろん、ボトルに興味を惹かれて、はじめてサイトを訪れた方には、この表現を見ても、そこまでの推測はつかなかっただろうと想像されますけど。
でもまあ、やがて意味の見当がついてくると、どうやらそういうことを言っているらしい、とわかってきます。
ところが、人間の判断力というのは不思議なもので、“これがあなたの欠点ですよ”みたいなことを言われると、まずそのことにポジティブな興味を持つことはできなくなります。
実際、子どものころから「だからあなたは駄目なのよ」とか、「それがあなたの欠点よねぇ。そこを直さなきゃ駄目よ」などと親に言われたら、もう、それはそのとおりなのだと思ってしまって、二度と再びそんなことは考えたくもなくなるわけです。(^_-)
まあ、人間のそんな心理機序が働くからなのか、「課題となる性格の側面」という表現からは、2本目のボトルを使いたい、という気持ちを呼び起こすことがあまりできなかったようです。
いちばん使ってほしいボトルを、まるで遠ざけてしまうような表現になっていたわけです。
それで、これではいけないということで、現在の【2本目に選ばれたときに、チャレンジとなる性格的側面】というふうに変わってきたのでしょうね。
でも、そうなってからでも、「チャレンジとなる性格的側面」という表現からは、なかなか、“そこにあなたの最大のチャンスがありますよ”という意味は読み取れません。
それで、現在のボトルリーディングでは【2番目/ギフトとタレント/チャレンジによる困難の克服と才能の開花】という表現が採用されているのだと思います。
実際、人間というのは、当人がいちばん能力があることに関して、いちばん自己評価が低い、というのはよく起こることなのです。
そのことが見えるのは当人にとっては当たり前で、かつ自分の能力の足りなさについてもいちばん敏感な側面だからです。
だから、子ども時代になにかのことで誰かに褒められたりするのが、大きなきっかけになるんでしょうね。
たとえトントン拍子にはいかない場合でも、最初自分が苦手だと思っていたことが、いざできるようになってみると、それが自分のいちばんの脳力になるということは、これもまたよく起こることなのです。
では、石黒寛子さんの記事「ボトルとともに過ごしてきた時間の濃密さを感じる日々の中で」から、その“チャレンジとギフトという言葉”に触れたあたりの部分をご紹介します。
仕事柄、ときとして歓迎するのが難しいもの、ひた隠しにされた裏腹な気持ちや、人を利用しようとする思いを敏感に感じ取ってしまうことがたまにある。
そして、傷つくというよりもむしろ、その背景に見え隠れする、こんな状況に至るしかなかった先方のこれまで歩んできた物語を想って、心が悲しみでいっぱいになってしまう。
そんなときはいつも、遠い昔同じだった頃の自分を、自分の中にわざともう一度蘇らせて重ねてみる。
きっと、誰しも影の部分は持っている。
相手といったん同質になることで理解し、その闇と同量の光(愛)を、さらに自分の中に同時に存在させて、ゼロにする。
ピンクとバイオレットの光線は、傷みを排除しようとしないで、影と同量の光を注ぎ込み、癒していく一連の作業をいつも見守ってくれた。
ゼロになることで左右に振り切れていた感情の振り子は中心に戻り、ニュートラルになり、距離を持って見直すことができる。
同量ではなく、それ以上の溢れる愛で包み込もうとすると、そこから先はきっとエゴになってしまうだろう。
そんなことをしなくても、ゼロになった時点で両者の間には、いつのまにか愛が行き交っている。
対象に働きかけようとするのではなく、自然と花開く相手の可能性を存分に引き出しあえる関係性に持っていくだけで、いつもじゅうぶんだった。
そう、傷みだと思って排除しようとしていたものの中にこそ、それをギフトに変えるための鍵がある。
次なる一歩へのゲートはなんと、傷みと捉えてきたものの核そのものだった。
チャレンジとギフトという言葉がイコールで結びつくことに納得がいった瞬間は、今でも忘れない。
幾重にも覆われた防御の層を超え、核心へと迫っていくときの勇気は、はかりしれないものだが、ラハシャのカウンセリングスキルのコースでもその様子をいくつか目のあたりにしたし、一度これを体験すると、深みを帯びた確かさとなって、そのあとの自分を支えてくれる。
身をもって体験するということは、つくづく貴重なことだと思った。
マニュアルから知識として得た言葉だけではクライアント様の胸に響かないが、プラクティショナーの実体験と結びついて自然と出てきた言葉は、その場全体に染み渡り、コンサルテーション自体の質をぐんと高めてくれる。
相乗効果でお互いが解き放たれ融合していくのを、しっとり感じることができる。
あの、部屋全体がいっぱいに満たされる感覚は、なんとも例えようがない。
さらに言い知れぬ感謝の想いも加わって部屋から溢れ、家中に広がり、外へと放射されていくようだ。
だからこそどんな小さなことでも、大切に、丁寧に捉えていきたいと思う。
今日に起きる微細な出来事への自身の気づきと変化が、まわりと響きあい、世界の大きな変化に直結している。
『リビング・エナジー』Vol.6(p100)
「ボトルとともに過ごしてきた時間の濃密さを感じる日々の中で」石黒寛子
【傷みだと思って排除しようとしていたものの中にこそ、それをギフトに変えるための鍵がある】
そういうこともあるでしょうねぇ。(-_-;)
人生って、どうしてそんなに面倒くさいことになっているんでしょうね。(*^_^*)
pari 記