梅雨があけたと同時に、すっかり夏になりましたね。
今年はコロナの影響でSTAY HOMEでした。
そのせいか、春を過ごした実感があまりなかったように感じます。
鎌倉で開催されるコースは中止になって、海外から来日する予定の講師もすべてキャンセルになりました。
でも、変更はほかにもありました。
5月に発売予定だった書籍、OSHOの「存在の詩」も、
「さあ印刷!」というところで、
書店が閉まって流通がストップするという理由で、保留になったのです。
わたしにとって、この「存在の詩」は、ちょっと特別な本でした。
もう何年も前のことです。
OSHOの本は600冊以上あるので、最初にどの本から読んでいいかわかりませんでした。
そこであるひとに、「いちばんのおすすめは何ですか?」と質問したときに、
「存在の詩」
と答えが返ってきました。
さっそく購入しようとしましたが、すでに新品はなくて、すべて中古。
それも2万円を超える価格で、ちょっと買えないなあとあきらめました。
時間があるときにときどき中古のサイトを覗いては、
ようやく1万円以下になったときに購入しました。
私が手にしたのは、16版です。
そんな多くのひとに永遠に再販を待ち望まれていたバイブル的な本が、
7月4日に復刊されました。
復刊を耳にした方たちからは、「この本を読んで人生が変わった」。
そんなお声がたくさん届きました。
今回は、「存在の詩」の復刊を記念して、zoomで対談が行われることになりました。
お1人は翻訳をされた星川淳さん、もうお1人は磨塼寺住職の藤田一照さんです。
この本、600ページ超えなのです。
手元に届いたときに、あまりにぶ厚くてびっくりしました。
わたしはこの本の校正を何度かしたのですが、この中のお話はどれもすばらしくて、
この本がバイブル的位置づけにあるのがよくわかりました。

ふしぎなことに、校正で何度も読むたびに、こころに残る場所もちがっていて、
どれも日常を考えさせられるものでした。
たとえば、「行為」と「行動」についてのくだりは、こうです。
<行為>は自然な心から出て来ている。それは世の中で最もビューティフルなものだ。<行動>は落ち着きのない心から出て来る。それは最も醜い。行為には必ずつじつまがある。行動は無関連だ。行為は瞬間から瞬間へと自然に湧き出てくるもの。行動が過去でいっぱいだ。
(中略)
たとえばお腹がすく。そうしたらあなたは食べる。これは<行為>だ。しかしお腹などすいていず、空腹なんか全然感じないのに、それでもまだあなたが食べ続けるとしたらこれは<行動>だ。こういう食べ方は暴力みたいなものだ。
どうして自分がこうも行動的なのか。その深いところに理由があって、行動している限りはリラックスはやって来ないと書かれています。
この文章を読んだときに、自分のことを振り返ってみると、
あまりにも行動が多くてびっくりしました。
そして、ありがたいことに、そのことに気づいた日から、
ちょっとずつこれまでの行動は減って、行為をしているときがわかるようになってきました。
「いまここ」にあるということは、
こういう気づきの積み重なったものが形をつくってくれるように思います。
この「存在の詩」の中には、たくさんの教え(チベットの叡知)がつまっています。
ゆったりと自然である……
このことばが何度も出てきます。
わたしはこの言葉が大好きです。
この言葉が脳内に浮かんだときは、
「あ、無意識になっていたな。」とか、
ゆっくりと呼吸を意識したり、
体へ意識をもたらすことが自然と促されます。
「存在の詩」に興味をもった方は、ぜひイベントにご参加くださいね。
人生のヒントに出会えると思います。
またね。
えつこ