なぜオーラソーマにとって、瞑想が必要なのでしょうか?

なにを学ぶにあたってもそうですが、最もオリジナルなものから学ぶのが近道です。
以前「ルーツ」探しが流行ったことがあります。
それは「私は誰? どこから来て、どこへ行くのだろう?」ということさえわかってしまえば、あとは好きなように、自由に生きることができるからです。
それがわからないと、自分がどう生きていいのかわからなかったりします。
オーラソーマを学ぶにあたっても同じことで、オーラソーマを学ぶには、まず、そのルーツであるヴィッキーさんから学んでみることです。   ヴィッキーさんの書かれた「オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング」を読めば、オーラソーマとはどういうものかがわかります。
オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング




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でも、オーラソーマはヴィッキーさんより、さらにルーツがあります。
それは「瞑想」です。
なぜなら、オーラソーマはヴィッキーさんが頭で計画して作りだしたものではなく、ヴィッキーさんの瞑想のなかから生まれたものだからです。
だから、ヴィッキーさんにとっては、オーラソーマのルーツは「瞑想」なのです。
そういう意味で「瞑想」は、オーラソーマの生みの親ともいえます。
では、そもそも「瞑想」とはなんでしょう?
瞑想については、さまざまな種類があります。
そこで今回は、誰にでもできる簡単な瞑想をご紹介しましょう。
その瞑想は誰にでもできて、いつでもどこでもできる瞑想なのですが、その瞑想をつづけていくだけで、すばらしい体験ができていくようになります。
その瞑想の名は「ハート瞑想」です。
ある方の、「ハート瞑想」の体験を、ここにご紹介しましょう。
「ハート瞑想をはじめて3ヶ月くらいたったある日のことだ。
ある朝、鍋は楽しく踊り、水道の水も踊り笑い、ポットも踊り、まるで世界がおとぎの国のようになった。
それは楽しい、自分が溶けていくような体験だった。
ハートの世界・・・というより、ハートが見る世界・・・。
おとぎの国って、こういうことか。
さらに瞑想を続けると、世界はこのうえもなく美しく、輝きはじめたし、さまざまな体験をした。
神秘の世界だった。
しかし、いろいろな美しい体験をしても、私は瞑想するのが嫌だった。
なぜなら、瞑想をすると美しい体験もするが、さらに深い苦しみが出てくるからだ。 それが嫌だった。
「それを超えなさい。そうしたら比較にならないようなすばらしい世界が待っているから」と、リーラは言う。 しかし、苦しむのは嫌だった。
あるとき、クライアントさんとのセッションのときのことだ。
表層にあるダークなエネルギーが消え去ったとき、突然、深い層にどんどん落ちていった。 そうして、ある深さまでいった。
すると、そこからまるでアラジンの魔法のランプで、煙とともに魔法使いが現れるがごとく、パァ~と「知」が広がった。広大なスケールだった。
それはリアルな感覚だった。これが「知」なのだ!! これが私たちなのだ。
なんと私たちが知識と思っているもののちっぽけなことだろう。
美しい体験をしているときは「体験」だったが、これは、それとは違うリアルなものだった」

さらに詳しくはこちらをご覧ください。 http://ameblo.jp/unityinstitute/entry-12037903105.html
このような瞑想の世界からオーラソーマのボトルが誕生したのです。
人それぞれの瞑想の体験は異なるかもしれませんが、その中心はひとつです。
その瞑想の世界から、オーラソーマを見ていくと、頭で考えて理解するオーラソーマとは、また違った「知」の世界が広がっていくでしょう。
尚 記
       
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