オーラソーマ・ティーチャー ヌラ先生が光となって肉体を離れました

ヌラ先生
一昨昨日、5月18日午前4時34分、和尚アートユニティで20年近くにわたりオーラソーマを教えてこられたヌラ・アネッテ・クラフト先生がご逝去されました。
その3週間前までヌラとは普通にお話をしていましたので、あまりに急な出来事で、私自身信じられない気持ちです。今もあの慈愛に溢れたまなざしとやさしい笑顔でそばにいてくれているように感じます。
ヌラ先生が逝去された日のことについては、パートナーであるラハシャ・クラフト博士のメッセージをお届けします。 「愛するヌラは、昨日の朝4時34分に肉体を離れ、光に帰りました。
私は一晩中彼女とともにいましたが、午前3時に彼女は私と、ホテルで祈りを捧げていた息子夫婦を起こしました。 私は彼女とともに瞑想し、精妙な静謐さに満たされ、彼女のためにマントラを唱えました。
昨日の日の出は、ちょうど4時34分でした。 彼女の心臓の鼓動が途絶えたのは、まさにその瞬間だったのです。 朝日のなかで、富士山がキラキラと輝く、すばらしく透明な朝でした・・・。
ヌラは「光」という意味です。
今後、彼女の身体はオーストラリアへと運ばれ、なじみのホールでセレブレーションが行われる予定です。
皆さんの溢れるような愛と祈りが、私たちの不確かな日々を居心地よく包んでくれました。心から感謝しています。 目を閉じればいつでも、ヌラの臨在は以前よりさらに輝きを増して感じられることでしょう・・・そして、そう、彼女の不在を深く惜しむことでしょう」

(以下敬称略) ラハシャの書いているように、ヌラという名前は「光」を意味します。 ちょうど日の出の時刻と時を同じくして、ヌラは光となって肉体を離れ、光に帰りました。 そして、その光とともに私たちに愛を届けてくれているかのようです。
ヌラは4月29日に緊急入院し、5月1日に緊急手術をして以来、彼女の入院中、世界中からラハシャのもとに何千もの愛のメッセージが届けられていました。 さらにヌラが訪れていた世界中の何千もの人々が、ヌラの回復を願って祈りを捧げ、Facebookにもそれらの様子やメッセージが届けられていました。
医学的にはヌラの回復は難しいと知りながらも、祈りの奇跡を信じる日々でした。 しかし、薬の副作用がヌラの身体に大きなダメージを与えていることが明らかになり、回復が見込めないとラハシャが判断した16日、ラハシャから回復を祈ってくださっている多くの友人たちへ、感謝の言葉とともに「もちろん回復の奇跡に対してはオープンだし、それを望むけれど、大いなる意思を信頼し、手放していくことにも開いていきたい」という趣旨のメッセージが送られました。
無理にヌラを身体に引き留めようとするよりも、より大いなるものに開き、この肉体に留まるかどうかヌラの意思に任せようという感じでした。
そのプロセスをラハシャとともに体験していた私にも、ラハシャの意図がよくわかりました。
ヌラは、肉体のまわりにいたとしても、もう肉体のなかにはいない感じが受け取れましたし、さらに広がった意識として存在していることが、ますます強く感じ取れるようになっていたからです。
ヌラが肉体を離れたその日の夕方には、ヌラのお見舞いに訪れていた息子さんのご家族がオーストラリアに帰る日でもありました。
ヌラは、まさにその日の朝を見計らい、肉体を去ったかのようでした。
ヌラの危篤を知ってオーストラリアから駆けつけた息子さんのビンドゥと5才になるヌラの孫娘のジャミーラ。数日後に来日した奥さんのロンニャと、生まれて数ヶ月のマリック。
マリックは、とりわけヌラとのつながりが深いようで、それまであまり泣くことはなかったのに、ヌラが倒れたその日からしきりに泣くようになったとのことでした。 マリックは深いところでヌラとつながっているのでしょう。
こんなにもかわいい孫たちを残しては、ヌラもこの世を離れられないはずだと思えました。 ヌラのご家族やお見舞いに来る方たちにとって、毎日病室に通い、奇跡の回復を祈りつつも、別れを覚悟する日々でした。
ヌラは、5月7日に緊急治療室から一般病棟の個室に移されました。 緊急治療室では、14才以下の子どもとの面会が許されず、家族との面会時間も限られるからでした。 9階にあるその部屋は、大きなホテルのような一室で、開かれた大きな窓から富士山がよく見え、大きなソファやシャワー、冷蔵庫や大きな机があり、家族が心おきなく面会するにはおあつらえの部屋で、ヌラが回復さえすればもうしぶんのない部屋でした。 それは、まさにヌラが家族やラハシャのために用意したような部屋でした。
ヌラが旅立った日は、ラハシャのメッセージにあるように、朝から快晴で、富士山がくっきりと見え、まさにラハシャが書いているような「朝日のなかで、富士山がキラキラと輝く、すばらしく透明な朝でした」
いつもオーラソーマのコースのなかでも部屋の環境に配慮し、美しくあることにこだわっていたヌラに、ふさわしい旅立ちだったといえるかもしれません。
つねに慈愛に溢れ、美しく、優雅で、やさしかったヌラ。 それでいて自分の意思はきっちりと貫きとおすヌラ。
そのヌラとラハシャは、誰もがあこがれる理想のカップルだっただけに、残されたラハシャの心情にも思いあまるものがあります。
ヌラ&ラハシャ
日本では、ヌラのオーラソーマコースとラハシャの「ハートからのカウンセリング」コースは、いつも同時並行で開催されていましたが、海外のコースではいつも二人でコースを開催していました。
ヌラが入院してからは、数ヶ月先までのスケジュールをすべてキャンセルし、ヌラとともにいることだけを最優先していたラハシャ・・・彼は、これから人生の設計を創りなおさなければなりません。
ヌラが亡くなった翌朝、朝食をともにしているときにラハシャに聞きました。
「これからヌラがいなくて、どうやって生きていくの?」
ラハシャは答えました。
「ヌラはここにいるよ。 以前に増してヌラをまわりに感じるし、ヌラのものを整理しているときにも、ヌラは僕に指図しているよ。
ヌラは今回のプロセスのなかでも多くのことを僕に教えてくれた。 いつもコースで『人は肉体でもなく、マインドでもない』と教えてきているけれど、それがこれからも試されるだろうね」
と。
そしてまた「海外ではひとりで過ごすこともあったけれど、オーストラリアの家に帰ってヌラがいないところで過ごすということはなかったので、家に帰ってからが大変かもしれない・・・。
もちろんヌラがいないことで深い悲しみがやってきたりもするだろうけど、でも、今はただ、この一瞬一瞬にいることしかできないからね」
ラハシャはひとりでいながらも、ヌラとともにいることを楽しんでいるようでもあり、ヌラが病んだ肉体から解放されたことに安堵を感じつつ、ヌラとともに、すべてから解放された自由を味わっているようでした。
今回のヌラのプロセス、そしてラハシャのプロセスの身近にいて、私にとっても多くの学びと気づきがありました。
ヌラは、もはや肉体のなかにはいないけれど、肉体を越えた世界で、愛の光とともに、これからも多くのことを私たちに伝えてくれるでしょう。
ところで、ヌラの病室に付き添っているラハシャのもとに、ヌラの家族とともに来日した、ラハシャの友人のスティーブンが持ってきた本があります。
「プルーフ・オブ・ヘヴン─脳神経外科医が見た死後の世界」  著者:エベン・アレグザンダー
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http://amazon.co.jp/o/ASIN/4152094087/oshoartunity-22/ref=nosim
まさにヌラの症状にも似た、脳の突然の異変で意識不明に陥り、臨死体験を経て、奇跡的に生還した人の物語です。
この本は、意識と脳の関係についての洞察をもたらしてくれる本でした。
この本の著者、エベン・アレグザンダーと同じように、ヌラも奇跡的に生還することを願いましたが、その夢は叶えられませんでした。
しかし、ヌラはこの本にあるメッセージを私たちにも伝えてくれているかのようです。
人は肉体に限られるのではなく、肉体を越えた、意識の世界が存在しているのだということを。
今回のヌラの病状は、世界にも稀に見るもので、世界に30例しか報告されていないケースでした。
Aggregatibacter aphrophilus(学名/口腔内常在菌:心内膜炎原因菌) が、なんらかの原因で脳膿瘍となり、脳をスキャンして見たところ、脳の5分の1ほどの大きさになって脳を圧迫していたのです。
最初はその原因がわからず、その培養によって菌の原因が特定されたのは5月15日のことでした。
入院した4月29日の時点では脳腫瘍という診断でしたが、あまりにも症状が急激に悪化するので、5月1日の朝に精密検査をして、悪性の脳膿瘍と診断され、すぐに緊急手術がなされたのでした。
手術そのものは成功したと知らされ、その後の回復に期待したのですが、その細菌が脳内全体に広がっていくという最悪の事態となったのです。
どうしてそのようなことが起きたのか、ふりかえって原因を探しても、ラハシャにも思い当たらないものでした。
脳には外部の細菌や、雑菌から厳重に守られる仕組みがあり、口内の細菌が脳に至るには、熱が出たり、炎症を起こしたりといった条件が必要なのだそうです。
唯一、思い当たることといえば、4月のはじめに風邪をひいていたような症状はあったけれども、熱はなく、炎症を起こしたということもないので、それが原因だとも考えにくいとのことでした。
(台湾でラハシャのコースをオーガナイズしていたプニタムさんは、ヌラのお見舞いに台湾から駆けつけてくれていました。 そのプニタムさんが、ヌラの思い出の写真を動画サイトにアップしてくれました)
ヌラ先生は、オーラソーマを世界に広げるために大きな功績を残されました。
1993年12月に、ヌラの初めてのコースがインドのOSHOの瞑想リゾートで開催され、私はそのコースの生徒として受講しました。そして、ユニティインスティチュートのディレクターであるリーラの勧めもあり、日本でオーラソーマの紹介をはじめました。
その後、ヌラを和尚アートユニティで招待し、日本でオーラソーマコースを開催し、現在に至ります。
そういう意味で、日本におけるオーラソーマの普及にも、ヌラは大きな役割を果たしてくれていました。日本でこれまでオーラソーマが発展してきたこともヌラのおかげであると言っても過言ではありません。
現在は、オーストラリアへヌラを移送するための準備をしています。
オーストラリアで、ヌラのご家族のもとで、そして多くの友人たちのもとで、ヌラを送るためのセレブレーションが行われる予定ですが、日程は現在調整中のようです。
それに併せて日本でも瞑想を行なう予定ですので、それについては追ってお知らせいたします。
日本のお葬式を想像してしまうと、「どうしてセレブレーション(お祝い)なの?」と思われるかもしれませんが、OSHOのもとでは、人が身体を離れたときには「デスセレブレーション」というのが行われます。
私も何度かデスセレブレーションに立ちあう機会がありましたが、お葬式のようなしめやかなものではなく、明るい音楽とダンスで歓びに包まれながら見送ります。
日本の習慣になじんでいると「なんて不謹慎なのだろう」と思ってしまいそうですが、デスセレブレーションを体験してしまうと、自分が死んだときにも、このような歓びに溢れながら見送られたいと思えてしまいます。
ヌラが肉体を離れる前の夜には、ラハシャをはじめ8人ほどの友人たちでヌラのベッドを囲み、OSHOのもとで歌われていた音楽をかけながら歌いました。
その日の夕方、急にヌラの血圧が下がり、すぐにでもヌラは肉体を離れるかのように思われたのですが、私たちが音楽とともに瞑想して、歌っている間にヌラの血圧は安定し、しばらく肉体に留まるような感じになっていきました。そして夜遅く、私たちはヌラの病室をあとにしたのです。
その翌朝、早朝4時34分に、ヌラは光となって肉体を離れていきました。
これまでオーラソーマに尽くし、身を捧げてきたヌラに感謝を捧げるとともに、ご冥福を心よりお祈りします。
和尚アートユニティ 江谷信壽 記
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★ヌラ先生への追悼メッセージのフォーム、設置のお知らせ★
ヌラのオーラソーマの教えを記憶に留めるために、そしてヌラの教えを多くの人とも分かち合うために、ヌラのコースを受講されたり、ヌラと会ったことでの学びがあれば、シェアしていただければ嬉しく思います。
ご協力を、どうぞよろしくお願いします。
http://aura-soma.co.jp/mail/forms.cgi?id=memorial_to_Nura201405
★ヌラ先生の追悼セレブレーション★
ヌラの逝去に関連しまして、多くの方にヌラやラハシャに会いたいというお問い合わせをいただいておりました。 そこで、ヌラとラハシャが日本にいる間に、そのような機会が作れないかを検討しておりましたところ、品川近辺の会場を確保することができました。
参加ご希望の方は、下記のフォームにてお申し込みください。 後ほど会場の詳細等のご連絡をさせていただきます。
皆さまのご参加、お待ちしております。
———————————— 日程 2014年5月24日(土) 時間 14:00~16:00 会場 東京品川 費用 無料 お申込み:http://aura-soma.co.jp/mail/forms.cgi?id=Nura_memorial_celebration201405
※自由参加ですが、会場の準備のために事前にお知らせいただきますと助かります。 また、服装は喪服ではなく、動きやすい服装でお越しください。


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