オーラソーマの歴史
オーラソーマの2層に色の分かれた美しいイクイリブリアムは1983年、ヴィッキー・ウォールの瞑想の中で得た啓示により、見えざる手に導かれるようにして作り出されました。
それはヴィッキーさんの意図と計画によって作り出されたものではなく、最初は彼女自身もきれいな化粧品としか思っていなかったのです。
ところがヨーロッパのあちこちのイベントでボトルを陳列しているうちに、多くの人々がそのボトルに惹かれ、それを使うことでさまざまなヒーリングが起こることが報告されるようになりました。
また、彼女自身に、幼少時からオーラを見ることが出来る能力が備わっていたので、そのボトルを選ぶ人たちが、自分のオーラに合ったボトルを選ぶことにも気づいていきました。
そのようなヴィッキー自身によるさまざまな試行錯誤と多くの人々の体験の報告の集積の中から、現在に見るようなオーラソーマのカラーシステムの体系と、オーラソーマのコースをはじめとするティーティングシステムができあがっていきました。
ヴィッキーが1991年に他界した後は、それまでヴィッキーと行動を共にしていたマーガレット・コクビン、後継者として訓練を受けていたマイク・ブースとクローディア・ブースがヴィッキーの遺志を引き継ぎ、オーラソーマの発展に努めました。
すでにヴィッキー・ウォールの生涯とオーラソーマの誕生と発展について語ったヴィッキー自身による著書、「オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング」が出版されており、その本を読んで感銘を受けた人々がオーラソーマに惹かれ、ドイツ、オーストリア、スイスなどをはじめとするヨーロッパ各地に広がりました。
日本へは1993年、和尚アートユニティがオーラソーマの輸入を開始し、オーラソーマのコースなども開催しながら日本への普及を始め、今日に至っています。