オーラソーマ・インタビュー
「ラハシャ博士のプロフィール」ラハシャ博士
ラハシャ博士 ラハシャはドイツ人ですが、スイスに生まれ、医学を勉強しました。そして8年間内科医として働きました。最初の5年は病院に勤務し、その後の3年間はドイツにて自分の診療所を持ちました。

すでに学生の頃から多く旅し、最初にインドに行ったのは1971年のことでした。 そのころより精神的探求者として多くの伝統的な文化にも接しました。 トルコではスーフィー、ネパールではチベット仏教、そしてインドではチベットとヒンドゥの伝統を学びました。

1980 年インドのプーナでOSHO(和尚)という精神的なマスターに出会い、サニヤシンとなり、瞑想をはじめました。当時和尚は世界中から多くの最も優秀なセラピストたちを集め、瞑想のための準備をする道具としてセラピーを用いることの可能性を実験していました。彼のヴィジョンは西洋と東洋を結びつけることであり、人々がその両方の世界から利益を得ることを助けるというものでした。

ラハシャはアジアに1年間過ごし、その間多くの瞑想を学びました。そしてドイツに帰国すると同時にマインハードで診療所を開業しました。そこでは患者のヒーリングを助けるため、針やヒプノシス、ブレスセラピーなどのような多くのヒーリングの方法を取り入れました。

そして長年に渡るカウンセリング、グループダイナミックス、プライマスセラピー、ブレスセラピー、エンカウンター、ヒプノシス、NLP、タントラ、エソテリックサイエンス、エナジーワークなどの教育を受け、学んだあと、自分のグループやトレイニングを指導するため1985年診療所を閉じました。

1987年から1997年にかけて、主に和尚マルティバーシティで働き、そこでアドバンス・カウンセリング・トレーニングとともに、「ビヨンドサイコロジー」、「内なる錬金術のアート」なども指導しました。そこでは冬の6カ月のシーズンを過ごし、あとの半年は世界中をまわってでワークショップなどをリードしました。

1995年から1997年にはインドのプーナの「オショウ・スクール・オブ・ミスティシズム」でディレクターを務めました。

また彼のパートナーであり、彼にすばらしいカラーヒーリングシステムを紹介したオーラソーマのティーチャーでもあるヌラとともに、瞑想とネパールとチベットのトレッキング、スキーやセイリングを組み合わせた冒険ツアーなども企画しています。

ラハシャとヌラは現在オーストラリアに住み、ニュー・サウス・ウエールズのバロンベイの近くで大きな瞑想とセラピーとヒーリングのセンターの建設に携わっています。そしてヨーロッパや日本においてカウンセリング・スキルやその他のコースのトレーニングをしています。

彼のこれまでの多くの異なった分野を学び、さまざまな多くの経験から、彼のワークも変化し、進歩してきました。

彼は非常にユニークで、シンプルで効果的なやり方を開発してきました。

例えば、カウンセリング・スキルのトレーニングでは頭に多くの知識を詰めこむのではなく、一歩一歩体験を積み重ねながら、自然と学びが起こってきます。

彼自身がクライアントやグループとどのようにワークしていくかを見ることで、ラハシャは簡単なストラクチャーを作りそしてそれをやってみることで自然と理解が生じてきます。 

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