やさしくわかるオーラソーマ

第七章 マスター

マスターについて

オーラソーマシステムでは、マスターボトルは50番から64番までのシリーズのことをさしています。

そしてこれらのマスターボトルには、それに対応したクイントエッセンスがあります。

これらのボトルはペールカラー(薄い色)、ないし上下いずれかにクリヤーの色があるボトルとして知られています。

ヴィッキーがこのボトルを受け取ったときには、彼女にとってもなじみのなかったマスターたちの名前とともに受け取り、それまでの他のボトルとは異なったフィーリングを得たそうです。

もともと大いなるもの(神)と個人との間に仲介する者を認めていなかった彼女に取っては、このようにマスターの名前とともにこのようなボトルを受け取ることは驚きでした。

エルモリア、クツミ、サンジェルマン、マハコハン、ジュワルクール。。。ブラバツキーの神智学などでは、人類を援助するために働いているマスターとしてよく知られた名前であったりはしますが、一般にはほとんど知られていない名前です。

キリスト、老子、観音などのよく知られた名前もあります。

これらのマスターボトルは、これらのマスターのエネルギーをボトルに封じこめて持ち歩く、というためのものではありません。

私たちはこの宇宙に大いなる存在から生まれ、大いなる存在ともつながっているので、そのサムシンググレートからのメッセージを自分の内なる声として聞くこともできます。

しかし肉体を持って生まれることで、大いなる存在(ブルー)から分離した個(イエロー)として存在していると思い込んでいる意識にとっては、その大いなる存在とつながることが難しいことがありますし、繋がっても、例えていえばその電圧が高すぎてショートしてしまう、というようなこともあります。そのようなときに、マスターは大いなる存在と個人との架け橋として、または変圧器として役に立ってくれると考えることもできます。

マスターと私たちとの関係は、馬と馬車のイメージで説明されることがあります(オーラソーマ イントロダクション トゥ オーラソーマ 小冊子参照)。馬が感情を表し、馬車は肉体、そして御者は知性を表すとされています。そしてその馬車の内側に座っている人物こそがマスターであるとされています。そのマスターはその馬車の行く方向を知っている人物であり、それらのすべてに気づいている存在です。

ところが私たちはそのマスター(主人)を忘れ去っています。したがって、身体と感情と知性とがそれぞれバラバラに存在し、葛藤し、自分がどこから来て、どこに行くのかを見失っています。

禅では無門関十二則に「主人公」という公案があります。

瑞厳和尚は毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、そして自分で「はい」と返事をしていました。「はっきりと目を覚ましているか?」「はい」「これから先も人にだまされなさんや」「はい、はい」と言って、毎日独り言を言っていました。

という話です。

これは、自分自身のマスター(主人公)を忘れないように思い出す、という公案でもあります。

オーラソーマでいうと、その内なるマスターを思い出すツールが、これらのマスターボトル、及びそれに対応するクイントエッセンスということができます。

これらのマスターの光線は、自分自身が自分にとってのマスターであることを思い出させてくれるもの、なのです。

オーラソーマでは、薄い色にはクリヤーの光線が入っていると考えます。このクリヤーの光線は意識、気づきの意識を表します。

したがって、マスターボトルは、それぞれのすべての色について気づきをもたらすもの、ということができます。

そしてそれぞれのマスターボトルの色は、その人に内在するエッセンス、本質的な質を表しています。

それらのマスターボトル、クイントエッセンスを使ってワークすることは、自分自身の内側に静かに座っているマスターに気づくこと、自分の内側深くに潜んでいる自分の本質に気づき、つながることでもあるのです。

マスターについての詳しい解説は、イントロダクション トゥ マスター シークエンス 小冊子をご参照ください。